L'Étranger 1911120

たまさかの外出記録として

南西麓夕景

日が傾き始めたので、小一時間ほど歩くことにした。

(続き)

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いつものとおり行く当てはない。人影の少ない道を頭に思い描く。
もとより、坂道が多いため、日中でも歩いている人は少ないのだが、日が傾く頃には、一時間近く歩いても、人と擦れ違うことは滅多にない。道の両側の家には灯りが点っても、遥か彼方に人影を見つけるかどうか。誰にも会いたくない私にはピッタリだ。

40年程前に宅地開発された住宅地だから、もはや新興住宅地とは呼べないだろう。住人の大多数は高齢者であり、誰も住んでいないように見える大きな家も目立っている。
宅地開発される前は、近隣の入会地だったのだろう。北東に一つ、南東にも一つ墓地がある。南西麓にも墓地があるのを知ったのは昨年の末頃だった。

気付かなかったのは、道からは見えない場所にあり、木々の生い茂る中に殆ど隠れるようにして墓石が並んでいたからだ。新しい墓も多く、お参りの跡も残っているのだが、一際大きな碑は、旧陸軍関係者のもの。昭和十六年の中国大陸での戦死者に混じって、大正二年入営同五年公務ノ為死没 陸軍輜重兵一等卒という碑も。皆、二十代。地の人たちだと分かる苗字ばかりだった。故郷の裏山が彼らの墓所となるのは当然のことだが、その山は宅地開発され、新しく建った家は地の人々の家を見下ろすようにして南を向いている。

散歩コースで目にする一軒の家には地蔵が祀られている。宅地開発中に出てきた地蔵なのだろうか。妻に話すと、そんな家には住みたくないと云う。気味が悪いというのだが、あちらこちらに墓所のある住宅地に住んでいるのだから、むしろ祠を祀っている方が心安らかではないのかと考える。

それよりも、この道を歩くたびに、大正初め頃の若い人たちの姿、顔を思い描く。萩原朔太郎の月に吠えるの幾つかの詩と共に。
二十五歳前に異郷の地で没した彼らのことを、もう覚えている人は、いないのではないか。
ただ生まれてきて、ただ死んでいった。若い姿のまま。