(続き)
私家版フォトブックの画像から。
住吉大社に立ち並ぶ無数の常夜燈。傾き始めた陽射しが作る翳に魅了される。撮影しながらも気になって仕方がなかった人々の名前や地名など、フォトブックを手にして、さらに目が引き寄せられている。播州室津、肥後熊本、昭和御大典記念…その意味を解さない異国の人であっても、石に刻まれた象形表意の文字の連なりには非日常的なものを感じるだろう。
聞くところによれば、住吉大社も四天王寺も、疫病感染拡大の防止策として、現在は閉門・閉堂中であるとのこと。科学的な知見に従って至極もっともな対処ではあるのだが、何かに縋ったり、心の拠り所を求める人々の気持ちは、それで良しとなるのだろうか。もし、この状況で、それが納得できるのなら、普段見ている祭や祈りの場所は一体何のために在るのだろうか。
形あるもの、目に見えるもの、どこかその場へ行かなければ効力を発揮しないという霊的なもの。
白い服装で佇み、じっとこちらを見ている美しい人の画像を見詰めながら、そんなことを考えていた。