L'Étranger 1911120

たまさかの外出記録として

A day of the winter blue sky

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(続き)

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南海電車浜寺公園駅_
昨年9月にDOLLミーたんとケロロ 日記写真展の開催された旧駅舎を再び見詰める。今日は、そこから浜寺公園に向かった。陽射しは明るく、空は青い。時折、暗灰色の雲に覆われて、霰のような激しい降雪に見舞われたりもしたのだけれど…。
公園が賑わうのは、やはり夏なのだろうか。見渡す限り桜の木が並ぶ場所や薔薇園もあるから、それぞれの開花期にも多分大勢の人が集まるのだろう。
季節外れのがらんとした空間に漂う何とも言えない荒涼感が好きだ。青空の下を歩きながら、私は父に暫く会っていないような気分になった。SARS 騒ぎの年の一月に、肺炎で20日ばかり入院したあと亡くなった父なのだが、こんな日には何処かに行けば会える気がする。24で家を出て、生きている間は疎遠だったし、小さい頃も船乗りの父と過ごした時間は僅かでしかない。今頃、そんなことを考えるのは生と死の境目が次第に朧になってきているからなのだろう。南海電車に乗るために西九条から新今宮へ向かう途中、通過する大正駅近辺を見遣りながら、母のことも考えていた。私の全く知らない町で生きていた戦時中の高女の頃を。 

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公園内の交通遊園にはD51機関車と並んで阪堺電車の古い車両が展示されていた。中に入ってみることが出来るのが素晴らしい。カメラを向けていたら、帰りは住吉神社まで阪堺電車で戻ろうという気持ちになった。専用軌道の直線区間が意外に長かったことと、ところどころの交差点で、信号機に従って停止しているのが心に残った。路面電車を残した街の中を走り続けている温かさを感じた。

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梅田中崎町珈琲舎・書肆アラビクで開催中の『ユーラシアが吹く』展に寄ってみた。ウクライナ作家の人形の顔に魅せられる。何枚か画像を撮らせていただいたが、ドール用のレンズを持ってきていなかったのが何とも残念だった。
久しぶりにお顔を眺めたリデルさんとは目を合わさずに済んだ。こっちを見詰めていたら、もうどうしようもなくなって、連れて帰りたくなるのでは_そんなことを思っていたからだ。 

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最後に、この日、多分、多くの人が見詰めた月と金星。
同じ空を眺めている人がいると思うと、会ったことがない人であっても、何か近しいものを覚える。
今を一緒に生きている気持ちになっている。