L'Étranger 1911120

たまさかの外出記録として

駅の匂い

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(続き)

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通勤通学の混み合う時間帯を外して、駅を眺める。ここに挙げた駅は私にとって特段縁のある場所ではないのだが。
人のいない空間を見ていると、一つ前の記事 "the genius loci" にも記したように、その土地に根付いた不可視の存在を考え始める。行き交う人々(既にこの世にない人も含めて)の息遣いや匂い、様々な思いの吹き溜まった場所として捉えているからなのだろう。
取り分け、がらんとしたプラットフォームや階段を見ると、心が騒ぐ。落書きのある薄汚い場所も、新しいプラスチックの冷たい輝きも、何か同じものの別の時制の姿を目にしたように感じられる。ありふれた光景でありながら、ストリートビューで眺めるしかなかった場所に実際に立っている。そんな意識も手伝って、説明しがたい不思議な感覚がいつまでも続く。
もっと暖かい季節になれば、阪堺電車天王寺駅前駅から路面電車に乗って、浜寺駅前まで行ってみたい。そこで何を見たいのか実はよく分かっていないのだが。或いは、大阪大正区の街を、もう少し巡ってみたいような気持ちにもなった。戦時中に母の通っていた高女があったことを不意に思い出した所為でもある。