はてなブログから anniversary_mail が届いた。
引籠っているから外出の記録はないのだが、この先のことを考えると、何か書き残しておこうという気持ちになった。
(続き)
紅葉は未明の街路で眺めている。
ありふれた、どこにでもあるような景色だ。
花も紅葉も、わざわざ何処かへ見に行くものではない_と思っている。
むろん歩いて行ける範囲に「名所」があるのなら、日参するのだろうけれど。
枝にあったときよりも雨の日の後、濡れ落ち葉になったときの方が心をざわつかせる。
上は、もう少し明るくなってからのもの。
この公園の落ち葉は、近隣の自治会の清掃活動で仇のように集められ、何袋もの可燃ゴミとなっている。
枝にある時には花よ紅葉よと愛でられるが、一たび地に落ちれば、排水溝を塞ぎ、足元を危うくする厄介ものと化す。
上のような様子は、ゴミが散乱している_としか見なされないのだろう。
もう一度、馴染みある時間帯の画像へ。
走り終わってからカメラを取りに戻っているので、かなり明るくなってはいるのだが、人影はない。
濡れたアスファルトの上の落ち葉が、何処かへ帰り損ねて力尽きた蝶のようにも或いは小さな帆掛け船のようにも見えた。