神戸東遊園地の銅像。
前にこれを見たのは50年くらい昔なのか。
モノクロの、不機嫌そうな顔つきをした私の写真が残っている。
(続き)
この日はコンクール MIDOW 展の初日。
今年の会場はデザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)。
かつての神戸生糸検査所の建物を神戸市が再利用したとのこと。
神戸税関は道路の向かい側に建っていて、
そっちの印象が強いのは、新港のどこかに停泊中だった貨物船から
三宮へ向かってぶらぶら歩いたことを覚えているから。
下船した父。
母と妹、一家四人の遠い日の記憶だ。
上の画像の、この辺りを臨港線が走っていた。
何故か誇らしげだった両親の声が甦る。
人形展の撮影は、やはり不可となっていた。
幾つか目を引く作品もあったが、
幸か不幸か、購入したいと思うものは見つけられなかった。
アラビク・オーナー森内氏と少しばかり言葉を交わし、
談笑中のCOOL氏を遠くから拝んで、会場を出た。
噴水だったところに花時計を移築したのか。
そう思いながらもう一度銅像を見上げる。
たまにしか日本にいない父が、
いつもあんなに酔いつぶれて、荒れていたのは何故なのか
私には理解できなかった。
さっきまで機嫌が良かったのに、今度は何が原因なのか
そう思うことばかりだった。
50年近く前の、この銅像の傍、噴水のところに妹と並んでいる写真は
当然、父が撮影したものだ。
不機嫌そうにレンズを見返している表情の裏から
何とも言えない不安感が透けて見える。
例によって、架空のポートレート撮影を思い描きながら歩いていた。
東遊園地へ来ることは、この先、滅多にないだろうし、
ルミナリエの準備が始まっていたことでも、その思いは強くなる。
私が目にするのは、精々こんな光景。
雑踏の中で、亡き人へ想いを馳せることなど、私には不可能な芸当だ。
地下街へ降りるところに
花梨の木があった。
実が付いているのを見たのは初めてだ。
物憂げな美しい人を写してみたくなる。