A submarine and three tugboats
(続き)
風の無い穏やかな日の美しい景色だった。昨年からずっと二隻並んでいた内の、綺麗な方だと思った。
神戸港では見慣れた光景。
入渠修理中の父の乗り組む船のすぐ近く、建造中の潜水艦があるのを何度も見てきた。サブマリン707・青の6号をリアルタイムで愛読、雑誌「丸」や「世界の艦船」も好きだったから、目の当たりにした本物の潜水艦の大きさに圧倒された。
しかし、昨年、岸壁に並ぶ潜水艦を撮ったときには感じなかった思いに驚き、今もそれが続いている。
旧帝国海軍の潜水艦の殆どは神戸で作られている。こんな感じで、引き船に回頭されて港を出ていったのだろうか。その後、多くは何処とも知れぬ場所で、乗組員共々沈められている。
戦争や軍隊は、武器商人や政商、財閥ばかりではなく、市井の人々とも分ち難く結びついている。どれだけ惨禍に苦しんだ歴史があっても、兵器を作ることによって成り立っている暮らしがあり、軍隊と共に動く経済や技術がある。
美しい風景なのにな。_そう呟くと、昔、図書館で借りた「妖星伝」(半村良)を思い出した。
_この星では、生き物の悉くが、互いに食らい合っている。美しく見えるものでさえ本当は醜悪極まりなく、その醜さを美しいと思わせる誰かの仕掛けが働いている。_
どこかにそんな条が在ったか無かったか……。いい加減な記憶なのだが、「妖星」という語と共に残っている。
美しい景色が、この日は悲しく見えて、遣り切れなかった。
つひにゆく道とはかねてききしかど
伊勢物語の歌が口を衝いて出た。(何の関係もないのだが)
たまさかの外出。
この後の撮影は楽しかったが、私の胸の内には通奏低音のように、下の句があった。
昨日今日とは思はざりしを