L'Étranger 1911120

たまさかの外出記録として

生駒寶山寺~浪花の恋

f:id:glitteringrivergreen:20200629181701j:plain

Stampsy "The Mountain of Stillness" に関連して。

(続き)

f:id:glitteringrivergreen:20200629181553j:plain

f:id:glitteringrivergreen:20200629181614j:plain

f:id:glitteringrivergreen:20200629181636j:plain

奈良での初めての撮影。
いつもなら下見を欠かさないのだが、今回はそうもいかなかった。
代わりに、「男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎」を予習がてら視聴する。
多分何度か観ているはずだが、昭和56年公開の映画だから、何もかも忘れてしまっていた。
下見代わりのつもりだったのに、すっかり見入ってしまい、早い内から滂沱の涙。歳の所為で涙もろくなったのではなく、このシリーズに関しては昔から。だから、嫌いではないのだけれど、積極的に見てきたとは言い難い。わざわざ映画館まで行って泣きたいとは思わないし、人情味溢れる笑いよりは、シュールでスラップスティックな笑いの方が好みだと思っていた所為もある。
それでもTVでやっているのを見かけると、ついついその場から離れがたくなって、最後まで見てしまう。職場の慰安旅行が盛んだった頃、帰りのバスの中で見せてもらった作品も多い。多分、「浪花の恋の寅次郎」も、そんなふうにして観たはずだ。

然したるファンでもないから作品を論じることはできない。ただ、渥美清演じる車寅次郎を見ていて、これほどまでに泣けてくるのは、彼が引き起こす笑いの底には「生き辛さ」があるからなのだと考えた。金策に出て帰りが遅くなっているタコ社長を心配して走りまわる様子。その内に帰ってくるさ_と笑いながら食事している他の人たちとの大きな隔たり。或いはマドンナに生き別れた弟がいることを知って、先方の都合もお構いなしに直ちに会いに行こうと提案するところなど、見ていて息苦しくなるほどだった。今ならアルファベットを並べたレッテルや冷たい四字熟語であしらわれるところだろう。訳知り顔で寅次郎の相手をする諏訪博の様子が今の世相に繋がるのか。
しかし、映画を観ていると、その博ですら「生き辛さ」を抱えているのが伝わってくる。
シリーズの中で繰り返される「寅さんはいい人よ」という台詞は、一人、車寅次郎に向けられているだけのものではないのだろう。毎日を生きていく中で、誰もが大なり小なり、周りに気を配りながらも上手くいかず苦しんでいる。マドンナの台詞は、映画に見入っている一人一人が、自分もひょっとすると、いい人なのかもしれないと思わせるような響きを隠している。
しかし、今の主流は、勝ち組や勝ち馬に乗ろうとする手合い。映画の中に出てくる人も見ている者も皆あの頃とは違った顔つきになっている。仮に渥美清が生きていても、新しい映画は作れなかっただろう。そんな気がしてならなかった。